お侍様 小劇場

   “西方より 秋来たる” (お侍 番外編 30)
 


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 あんな道端であれ以上の漫才を繰り広げるのも何だろうということで。
(おいおい) アポも何もないままという、いきなりの訪のいとなったお客人らを連れて、とりあえずは自宅へと向かった、島田さんチのご兄弟であり。ごくごく普通の、これでも結構瀟洒なほうの一戸建へと辿り着くなり、
「おお。聞いてはおったが かいらし家やの。」(かいらし=可愛らしい)
 厭味で言ってる訳じゃあないのは重々承知。何しろ、久蔵も、そして七郎次もついつい感じた第一印象だったのだし。
「勘兵衛さ…さんが見繕ったのでしょ?」
「ええ。今のお勤めに就いたおりに。」
 男の一人暮らしになら、むしろ広すぎるほどだって不審がられたんじゃない? らしいんですが、あのそのえっと。////////

 「…そぉか、おシチを呼び寄せる気ィ満々やったな?」
 「えとあの〜。///////」

 何かしらの含みを秘めてもいよう、ちょっぴり眇めた流し目で、にまにまと眺められたその途端、一気に真っ赤になった率直さよ。ともかく上がって下さいましと、背中を押すようにして促せば、いかにも楽しげに笑って見せる来客の二人であり、

 「勘兵衛さんは土曜でも仕事らしなあ。」
 「はい。今はどこも流動的な情勢なので…。」
 「せやろな。うっとこも、集まりが悪い悪い。」

 通されたリビングのソファーに陣取り、嫋やかな御面相を悪戯っぽい笑みで染め、うくくと微笑った良親と呼ばれた方の男性が、

 「せやよって、その隙ついて、こうやって遠出も出来たんやけどもな。」

 悪びれもせずに口にしたお言いようへ、
「隙をついてって…。」
「ホンマ、僕でかて付いて来るのがやっとやったんやで?」
 自慢してどうしますかと、東西の腹心筆頭それぞれが似たような口調でついつい零してしまう。それほどまでに、無茶なお出掛けを敢行なさったらしく、

 「今頃、須磨のお屋敷じゃあ大変な騒ぎなんじゃありませんか?」
 「だと思うから、連絡入れられなくってさ。」

 山崎さんはいいんだ“お館様”には甘いから、問題はウチの兄貴と惣右衛門さん。あああ、そうでした、惣右衛門さんの雷は勘兵衛様とて頭下げてやり過ごすしかないと仰せで…などと、ごちゃごちゃ交わされている問答が、聞こえていようにどこ吹く風というよなお顔でおわす辺り、

 “…良親の方が島田より惣領には向いているのかも知れぬ。”

 こらこら、坊ちゃんまで何言い出しますか。……とまあ、一番若いクチの久蔵でも、逢ったのは記憶にないほど以前の話という遠い人たちだってのに、深いところまでを色々と知っており。向こうさんもまた、こちら様の内情に詳しいのも道理…と来て。前章で既にお察しの方も多かろう、こちらの急なお客様がたは、彼らの裏のお顔でもある、島田の一族の血統つながり、西の支家に属するお歴々。須磨の良親殿は、七郎次より少々年嵩くらいの三十そこそこというから、まだずんと若い身空で西の支家を束ねる身であり、そんな彼を支える…というよりも、
「お守りする身にもなってほしいて、いっつも言うといやすのに。」
 身内ばかりの場となったからか、ついつい日頃の口利き、京都言葉も飛び出している如月というこちらの青年。兄の征樹ともども幼なじみ同士の気安さから、気がつけば今もなおその傍らについているのだそうで。
「せやけどホンマ、久蔵がこんな大きなってるのんには驚いた。」
「せやなあ。先代の法要には顔出せんで済まなんだな。」
「〜〜〜。(否)」
 須磨が西の筆頭ならば、東を束ねていたのが木曽の支家。だっていうのに、交流が薄いのもいたし方がない彼らであり。お互い常に“お務め”が山積みな身であるのと、あまり頻繁に逢っていて、そのつながりが痕跡としてでも残ってはいけないお立場だからのそれで。トップに間近い同士であるにもかかわらず、だからこそ顔を突き合わす機会はほどほどにとされており。気にしないでとかぶりを振って見せた年若い次代様へは、何とはなく浮かれた様子を装っていた二人も、やっとのこと落ち着いた表情を向けての頷いたものの、

 「そこで、や。わざわざこうして訪んねたんは他でもない。」

 ごちゃごちゃしつつも、そこは抜かりのないおっ母様。てきぱきとキッチンへも立ってゆき、手際よく淹れた紅茶を運んで来たのを。そちらさんでも、彼が落ち着いたものと見澄ましたのだろう。ソファーの上での居住まいをやや正すようにと座り直すと、

 「あんたに報告せんとあかんことがな、2つほどあるんやけど…。」

 良親殿がそうと言い終わらぬうち。ローテーブルの片端側、ラグを敷かれたところへ片膝ついての落ち着きかけていた七郎次が、ひくりと身を揺らし、はいていたジーンズのポケットへと手をやった。マナーモードにしていた携帯が鳴ったらしく、こんな場だからと電源を切りかけたものの、
「…。」
 発信者を見て少々躊躇したものだから。相手は誰なのか、この場にいた全員にはあっさりと知れて。しかもしかも、
「ちょっと貸し。」
「あ…。」
 素早い手が伸び、あっと言う間に攫われたモバイルであり。そんなやりとりをした二人を見やっていたもう一方の二人はといえば、

 「久蔵だろ、勘兵衛様へ知らせたの。」
 「…。(頷)」

 盗聴器でも仕掛けてなければ、こうまでのタイミングよく掛かって来るはずはないと。そのくらいは誰にだって判ること。黙りネコほど鼠を捕るの喩えじゃあないけれど、寡黙だからといって大人しいとは限らない。如月からの声かけへ、衒いもなくの頷いたそのまま。膝立ちになっている七郎次の傍らまで寄ってゆき、
「久蔵殿?」
 それへ気づいてこちらを向いたその身をぎゅうと…まるで何物かから庇うかのように抱きすくめてしまった彼であり。
「…それって僕らが怪しいもんやって言いたげやね。」
 あまりに判りやすすぎる態度へ、むっとするより呆れたところは、さすがに…久蔵くらいの年頃から大人の対処・対応を求められることの多かったらしき、如月殿のお言いよう。むしろ、
「久蔵殿、そんなお顔をしちゃあいけませんて。」
 窘めるような声を出している七郎次の方が、次男坊の剥いた牙への動揺が大きいらしかったりし。そうしてそして、それもこれも、

 「勘兵衛はんか? せや、良親や。お久しゅう。
  あんたいっこもおシチに話してへんかったらしいやないか。
  まま、そのおかげで久蔵がこないして、
  素早い連絡、つけてくれはったんやろけども。」

 さして動じぬ口調での悠々と、会話を続ける良親である辺り。どうやら惣領様にこそ問題があったらしくって。
「俺らが勝手に話進めてもええのんか? なに言うとお、勝手はお互い様やないか。……せやったら、1時間だけ待ったるよって。何もかんもを片づけるかおっ放り出すかして、駆けつけよし。」
 話はそれだけと、一方的に切ってのそれから。二ツ折りの携帯をとっとと畳んで持ち主へと返しがてら、
「判ったやろ? 俺ら、おシチを苛めに来たんやない。むしろ、用があるんは勘兵衛様へや。」
 鳶色の瞳をやんわりと細めた良親の声音は、電話の相手へ向けられていたそれとは打って変わって、低められたところへ優しいビブラートが甘くかかっていて。視線と声とで、感情的にいきり立ってしまっている高貴な守護獣を、何とか宥めようとしておいで。声を荒げるでもなくの静かなまま、それでも実はたてがみ逆立てていたらしい久蔵へは、

 「もう半年以上も前の話になるんかな。妙な女が近づいとったんやろ?」
 「…っ。」

 島田の家が絡む何やかやへ、この久蔵がこうまで尖ってしまう原因といえば…と、彼らの側にも心当たりがあるのだろう。口に出したその途端、ますますのこと細い眉が逆立ったのへ、
「その女のことも、調べと決着、ついとんや。」
 これも勘兵衛はんへは届いてる筈なんやけどもな。きっとあんたらに嫌なこと思い出させとうなかったんやろな。彼らには咎のないことだのに、ごめんなさいと言わんばかりに眉を下げるのを見るにつけ、
「………。」
 警戒心が収まったものか、それとも、
「…久蔵殿?」
 自分もその場へと座り込みつつ、それへと釣られてしゃがみ込んだ彼のこと、肩や背中を撫でてやり、よしよしと宥める七郎次自身からの気遣いに絆されたのか。話を聞こうという構えになっての、気勢が何とか静まったらしき青年剣士殿であり。本当に辛かったのは母上なのだという辺りの分別が、何とか自制として働いたのだろう。それこそ、七郎次へのみの忠実な守護獣もかくやという態度の変わりよう。感情の鉾を収めるとそのまま、身を寄せたままなおっ母様の懐ろへ頬を擦り寄せた態度は、甘えているように見せつつも、自分がついているからとの励ましでもあるらしく。いつの間にやら…相手は限ってとは言え、そんな対処まで身につけているところ、木曽でのお世話係だった皆様が見たなら息をひいて驚いたに違いない進歩ぶり。会うのは久方ぶりであれ、そういう和子だとの噂は得ていたらしい西方からのお客人らも、おやおやと擽ったげに頬笑んでから、

 「こっちに押しかけたんは一月の末頃やったらしな。」

 誰かさんが駆けつけるまでの暇間のつなぎということか。問題の事件の顛末を語り始めた良親殿であり。ある意味で“内縁の妻”的な立場にある七郎次へと、妙な言いがかりをつけて来た厚化粧の女が現れたという、思い起こすのも胸糞の悪い事件があって。(『
咎罪者(とがびと)の恋唄』参照)
「雪乃はんが、勘兵衛様の依頼で秘密裏に調べてくれはったらしのやけど。やっぱり高千穂の方の、ずんと末席の家の若いのんが、小遣い引き出せんてむかついた弾み、ちらっと零したお家事情を、その取り巻き連中が何や取り違えるかどうかしたらしゅうて。」
 あの修羅場もどきの場で、裏書は全部判っておりますことよと、惚れ惚れするよな啖呵を切って下さった雪乃さんが、何とはなしに仄めかしたそのままの背景を。こちらの、西の束ねの良親殿が、もっとずっと厳しく問いただした末に、明らかになったのが…本当の顔をろくすっぽ知りもしない分家の係累が、単なる資産家の血筋と勘違いしていての起こった、詰まらぬ恐喝もどきの、しかも取っ掛かり。あのまま言うことを聞かなかったならば、男のめかけがいることを業界や財界という世間様へ吹聴して回ってやってもいいだとか、もっと手酷い段取りを組んでもいた連中だったらしいのを。そんな…今更聞かせても詮の無い、醜いところは割愛してから、

 「関わった顔触れへのけじめもきっちりつけた。」

 そんなに裏の世界に精通したいのならばと、もっと格上のその筋の方々に“どうとなとしてくれ”と引き渡しての始末を任せたと。それこそもっと恐ろしい始末を端とした声音で締めくくった良親であり。微妙に年齢不詳のまんま、端正で甘い顔容だったのが、この時ばかりは怖いくらいに堅く引きしまり。一方で、すぐの傍らにいた如月の方は、どこかいたわるような、それでいて寂しげな眼差しを、七郎次や久蔵の方へと差し向ける。痛々しいと思うのは驕り。言われのない中傷を自分一人の胸へしまっておこうとした七郎次の健気な決意も判るし、そんな彼の構えた沈黙へと勘兵衛がい抱いたのだろうジレンマも判る。上の者も下の者も、当人たちの意志では何ともならぬものに雁字搦めにされている家系であり、そんな枠の中、それでも大切な人を大事にしたくて…それでと。無理や隠しごとをしたがために起きかかっていた、すれ違いや齟齬だったのであり。
「そんな騒ぎが起きかけとったいう話が、西も東も区別のう、支家や分家にぱあって広がってもたんは まあしゃあない。」
 その話自体はとうに鳧もついたよって、問題はないんやけどなと。シンプルなデザインながら、深みのある白が懐っこいティーカップを口許へと運びつつ、その所作のついでに目許を伏せた良親殿が、ややもすると言葉を濁らせ気味に口にしたのが、
「そんな騒ぎが起きたんも、おシチの立場をはっきりさせておかなんだからやいう声が上がっとってな。」
「…はい?」
 その在りようの仔細まではともかくも、駿河の宗家へ養子として引き取られた頃から勘兵衛の傍らにあった七郎次なのは、分家格までの家の者ならば誰もが知っていることで。戸籍の上での義理の弟、ここのご町内では勘兵衛の遠い親戚筋の甥御ということになっている筈なのだけれど。それ以上の“はっきり”とはどういうことを指すものか。勘兵衛の立場を思うことはあれ、自分の立場をそういえばあまり考えたことがなかったことが明白な、心からキョトンとしている白皙の青年へと向けて、

  「諏訪の家をな、再興しぃひんかて話が、前々から上がっとおのんは、
   あんたの耳へまで ちゃあんと届いとおのやろかて思うてな?」

  「……………え?」

 諏訪といえば七郎次の本来の生家。まだ若かった父しか係累は居残ってはいなかったらしく、そんな彼が娶った妻は、だが、とんでもない家系だというその実態を知って恐れをなしたか、生まれたばかりの息子を連れて失踪。妻も子も見つからぬままに最後の末裔であった父が亡くなったことで、血筋が絶えたとされての取りつぶされたと聞いている。
「木曽のほんお隣りの、ホンマやったら支家筆頭に並び立ってもええほどの家柄やったんが。戦時中に担った務めが苛酷に過ぎて、あっちゅう間に最後のお一人にまでなってまいはって。」
 淡々と紡ぐ良親の言葉は、さっきまでのちょっぴり浮ついていたどの語調とも重ならない真摯なそれであり、
「…。」
 まだ正式な“次代”の名乗りをしていない久蔵へは、大人の集まりには顔を出せないが故に全く伝わってはいなかった話。そして、良親のこの言いようだということは、当事者である七郎次の耳にも届いてはいなかったのではなかろうか。その七郎次の懐ろに、寄り添ったまま抱えられていた久蔵が感じてしまった、そんな杞憂をなぞるよに、
「そうまでの家柄や、せっかく一人息子が見つかったんやし、復興してもええんちゃうかて話は、結構以前から…。」
 そうと続けかかった須磨様だったが、

 「そんなお話が持ち上がってたのは、聞いてます。」

 静かな声が頭上で上がる。そおと見上げると、良親を真っ直ぐ見やった七郎次がそのように応じており。
「ですがそれは、宗家の先代様…大旦那様が私を引き取って下さったおりに、きちんと話をつけた筈だと。」
 自分の両親がどんな経緯で離れ離れになったのか、母が亡くなった後、自分がどうして何の縁もないも同然の家に人知れず預けられていたのか。そして、そうまでして母親が嫌った島田の家へは、しきたりに縛られねばならぬ支家や分家の係累ではないという肩書の“養子”として引き取る対処をしたと、支家の皆様へその旨を通達したこと。七郎次が物事への分別が付くようになった年頃に、順を踏んでの話して下さったから、
「勿論のこと、諏訪の籍へ戻りたければいつでも言いなさいと言われてはいましたが。」
 そんな気持ちはとうとう沸かぬままにこれまで来た彼であり、それこそ、とうに済んだ話になっていたのではありますまいかと、滔々と返した七郎次であったのだが。

 「それとは別の話や。」

 良親にも、そんなことだろうという予測はあったらしくって。いかにも良家の子息らしき、節の立たないきれいな手指。組んでいた脚の膝の上で組み合わせると、
「こんな言い方は直
(ちょく)すぎるけど堪忍な。勘兵衛様があんたのことをお稚児扱いにしての手離さへんて、そんな……」

 畳み掛けるような言い方になったのは、のちに思えば“そうじゃないと知っている”と、打ち消す言いようを続けたかった彼だったからなのだろう。本人はそれはそれは清楚実直な人性をしているのに、その美麗な見目を敢えて地味に押さえ込んでまでという、御主への尽くしようとが相俟ってのどうしても、妖冶な憶測やあらぬ邪推を招いてしまう君。そして、そんな心無い言いようがどれほど人を傷つけるかは良親だとて重々判っていたに違いなく。なればこそ、我慢強いこの青年に、だのに哀しいお顔をさせたくなくてと、手短な言いようで済まそうとしたらしかったのだろうが。そうと運ぶよりもずっと早くに、

  ―― ひゅっ・か、と

 宙で風を裂くような鋭い音がして。いつの間にそんなものを忍ばせていたのやら…きっと先程の余燼、七郎次を傷つけに来た連中ならば容赦はしないとの用意だったものらしい、旧式のラジオについていたアンテナのような折り畳み式の伸縮棒を、目にも止まらぬ素早さで良親の顔面間際まで延ばしていた久蔵と。それから…テーブル越しに伸びて来ていたその切っ先を、そちらも素早く良親の前へと回り込み、立ちはだかった自分の胸元前にて握り込んでいた如月と。言ってはならぬ言いようで火がついての弾かれた攻勢が、火がついたそのまま見事にねじ伏せられており、

 「侮辱されたて怒りはるのんも判るけど、堪忍やで?
  頭の古い年寄り連中の言いようやけど。
  嘘は言いたなかったから、そのまんま言うてしもたまで。」

 一触即発。下手すりゃあ良親の眸を貫くことも辞さぬという、一縷の迷いもない突きと。そして…そんな無体を仕掛かった久蔵へは、結果そうならなかったからこそ だらりと下がったところで止まっている、そちらはもっと本格的な仕込みの刃物。如月の小指に鈍く光っていた指輪の縁から、その指へと添わされての延ばされていた錐のような得物がきっと、それなりの報復をしていたに違いなく。そんな緊迫の睨み合いを挟んだまま、微塵にも揺るがぬ良親の声は淡々と続き、

 「諏訪家の再興、それもええんやないかて話がまた起きたんは、
  切っ掛けこそ ややこし女があんたへ寄って来た、こたびの一件のせいやけど。
  支家は多い方がいいというて聞かん年寄り連中の言いようは、
  元は言うたら、勘兵衛様がずうと独り身でおわすことへ焦れたんが縒れたもん。」

 何かを揶揄しての含むものがあるというような語調ではなく。あくまでも事実の羅列だと判るから。

 「…、…っ。」

 こちらは率直に、侮蔑か揶揄だとでも思ったのだろ。またぞろ何かしでかそうというものか、弾かれるような勢いで立ち上がり掛かった久蔵の身じろぎを察し。誰より素早くその身を押さえ込んでの封じたのが、他でもない七郎次であり。他者へは狂暴、されど翼下へ守護すると決めた者へは限りなく従順な聖獣ででもあるかの如く。きゅううんという甘い鼻声が聞こえて来そうなほどの慕う眼差しを、真上から覗き込んで来る七郎次へと向けた久蔵へ、
「どうか怒らないで下さいな。良親様ご自身がそんなこんなと思うておいでじゃあないのですから。」
 言いようが辛辣だったのも、それほどの声があるという本当を包み隠さずに伝えただけのこと。湾曲な言いようで、遠回しに仄めかすだけではいけない時と場合もあると、それこそよくよく知っている七郎次でもあったから、
「ね? 久蔵殿。」
「…。」
 いい子いい子と撫でられて、不承不承いきり立ってた憤怒を静めた次男坊。それというのも、


  「…遅い。」
  「ああ、すまなんだ。」


 都内のビジネス街から、郊外ベッドタウンの縁に掛かろう此処へまで。一体どんな手を使ったことやら、ほんの十数分という奇跡の短時間で駆けつけられた勘兵衛が。不平たらたらな久蔵ごと、床へと座り込んでた七郎次を、背後からそおっと、その懐ろの尋深くへ掻い込んで、ぎゅうと抱きしめてくれたからだった……。








       



  『ほんま、誤解はせんどってな。俺らはあんたらの味方やよって。』

 真実だからと言ったとて、それが手痛く人を傷つけることも多々あって。真実だから正しいとか、それがまかり通って何がいけないとばかり胸を張れるばっかじゃないとかいうの。こういうお務めで世界の裏やその錯綜ぶりへと触れることこそ本業な彼らゆえ、いやっていうほど重々承知。そして、だからこそ、

 『知らへんまんまにされとって、
  後々で判る立場の口惜しさや歯痒さゆうのんもあるよってな。』

 決定権のある、上つ方のお人には、なかなか判らないジレンマだろうけどと。これは間違いなくの勘兵衛への当てこすり、堂々と言ってのけた良親殿で。説明するだけでも…現にそうだったように、さんざ睨まれ恨まれることを覚悟の上で。されど、中途半端な格の者が告げるよりも、自分が告げた方がはっきりと間違いのない情報となるからと。勘兵衛に負けず劣らず忙しいところを、お忍びの無茶に見せかけた大胆な出奔を図ってまでして。七郎次とそれから、そのすぐ傍らで彼を健気にも守っておいでの久蔵へ、わざわざ現状を伝えに訪れたらしき西の須磨様たちだったらしく。

 『爺様たちかてな、何も憎うて尻叩くようなお言いようしてはるんやない。』

 例えばおシチが諏訪の家の次代、いやさ当代様になったなら。日陰者やて萎縮する必要はのうなるよってな。その上で、危ない仕事は回さんと、傍づきにしてまういう手もあるやろに。そういう手管や特別扱いはそれこそ七郎次が嫌がるだろうと、妙な格好で気が回る、何とも困った惣領殿だから。もっと大きな視野になれと、それこそ自分にしか出来ぬことぞとばかり、勘兵衛の尻を叩きに来た彼であったらしく。

 『それと、久蔵。勘兵衛様が相手でも遠慮は要らんよってな。』

 さっきの一撃、不意の突き方はなかなかやったが、本気で貫くつもりまではなかったとみた。
『相手が如月やったから、見切ったと同時、攻め手も止めやったけど。半端な手合いやったら、そんな情けはかけてくれへん。それとは逆に、勘兵衛様はこれでも俺でさえねじ伏せる使い手や、もっと徹底的な勢いで突っ掛かっていかんとやな……。』
『こらこら、何をけしかけとるか。』
 いかにも鹿爪らしい顔付きで、養い子に親への必殺の極意を伝授している物騒な西の総代へと、そこは渋いお顔になってしまった勘兵衛だったが、

 『わざわざのお気遣い、痛み入る。』
 『なんの。羽伸ばしのついでやよってな、気にせぇへんでええで。』

 島田さんチの家の前へまでと、ネットで手配したセダンタイプのレンタカー。そこへと颯爽と乗り込んで、言いたいことは言い尽くしたので“ほなまたな”とあっさり立ち去った二人連れであり。

 「……なんか、台風みたいなお方がたでしたよねぇ。」
 「…、…。(頷、頷)」
 「まったくだ。」

 勘兵衛が不在な時間帯に急襲を仕掛けたのは、様々な仕事を振り切っての出奔という思い切ったことをしてきたその延長だったからのたまさかか。それとも…そこまでも計算づくのこと。大事な七郎次が独りで立ち向かう修羅場へ、動揺せぬ間に駆けつけよと、日頃壮年らしくも納まり返っている勘兵衛を、そんな仮面を剥ぎ取るほど滾らせるべく、けしかけてみたのかも知れなくて。

 “どっちにしたってお人が悪い。”

 苛酷なお務めの反動からか、島田のお家には ああいう人種が育まれやすいものなのだろうかしら。結構な緊迫が去ったばかりの反動か、お家の玄関へ取って返すだけという、短い短いその暇間にも、愛しい母上の懐ろにまとわりついて、日頃以上の甘えっぷりを発揮する次男坊殿の痩躯を、自身の側からもふんわりと抱え込んでやりつつ。先に戻られる御主の、相変わらず長く延ばした蓬髪に半分ほどが覆われた、広い広い背中を眺めやった七郎次。言葉なんか要らない。どんなときにも君は私が守るからと言わんばかり、駆けつけて来たそのまま、抱きしめてくれたあの暖かさだけで十分と。胸底が絞り上げられるような切なさと共に、深い情愛の甘さと微熱、あらためて感じてしまった、秋の昼下がりだったりするのである。



  「ところで勘兵衛様。」
  「いかがした?」
  「一体どうやって ○○区から此処までを、
   ほんの小半時もかからずに、戻って来られることが出来たのですか?」


  「……。」
  「勘兵衛様?」


   「……世の中には“知らぬ幸せ”というものもあるのだ、七郎次。」


    ――― おいおい。





   〜Fine〜  08.10.17.〜10.18.


  *え〜っと。
   色んなことを一気にごちゃりと詰め込んでしまいました、すいませんです。
   最初に言っときますが、
   別のシリーズにて名前は同じ誰か様たちが出て来ましたが、
   関係までが一緒じゃあありません。
   如月さんというのが征樹さんの弟だとしておりますが、
   しかもしかも良親さんの腹心、みたいな書き方になってますが、
   あっちではそういう立場のお人じゃありませんので念のため。
   (つか、出てくる話を書くかどうかも未定ですしねぇ。)

  *一月に書きました、
   シチさんを脅迫だか恐喝だかして来てた勘違い女のその後を、
   そういや放ってあるなぁと。
   別にね、騒動自体は済んだこととして忘れちゃってていいんだけれども、
   島田という変わったお家の内部ではどんな扱われ方をしたのかなとか、
   他の支家様ってのも多少は出しといた方がいいかなとか、
   グリグリとメモっているうちに、こんな筋立てがムクムクしちゃいましてね。
   このシリーズではあんまり深刻な話を展開させるつもりはないのですけれど、
   たまには…こういう嵐や試練に、
   一家で耐えてみるのもいいのではと思った、罰当たりでございます。
   でも、あんまりシチさんを苛めると、しまいにゃ久蔵殿から
   “シニタイノカの刑”とされかねませんね。(Y様ナイス命名・笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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